賃金減額裁判12月25日に判決

 2013年9月16日に提訴した賃金減額裁判は、9月9日に最終意見陳述が行われ結審しました。判決日は12月25日に決まりました。以下に陳述書の抜粋を掲載します。

意見陳述書

2015年9月9日

東京地方裁判所民事第11部御中

1.日本アイ・ビー・エムの人事施策
 私が入社した1989年当時、日本アイ・ビー・エムを含む世界中のIBMでは、創業時から受け継がれてきた基本的信条の一つとして「個人の尊重」を掲げていました。これは、従業員一人一人を大切にすることを意味するものでした。また、人事施策としては「イコール・オア・ベター」、つまり、同業他社と比較して同等以上の待遇をすることを基本方針としていました。新入社員研修でこれらの理念をしっかりと教えられ、素晴らしい会社に入社できたと誇らしく思ったものでした。
 ところがその後、IB Mは目先の利益を追求するために理念をかなぐり捨て、日本アイ・ビー・エムは今ではブラック企業の代名詞とされるまでになってしまいました。
 この2年の間にも、日本アイ・ビー・エムは本件の賃金減額のほかにも、従業員の待遇を切り下げる施策を次々と実施しています。
 まず、2013年5月15日、この裁判で争っている賃金減額の発表とまったく同じタイミングで、借り上げ社宅制度の突然の廃止が発表されました。借り上げ社宅制度を利用していたのは主に若手の社員たちですが、一ヶ月あたりの住宅費の自己負担額が一気に2万円以上増え、生活に打撃を受けた人も少なくありませんでした。
 2014年には、賞与制度の変更と病気休職制度の変更が相次いで発表されました。賞与制度の変更についての会社の説明は、PBC評価の対象期間と賞与の算定期間がずれていたのを一致させるというもっともらしいものです。ところが、この変更の実態は、社員全員に対して入社から退職までに受け取れる賞与の算定期間を1.5ヶ月分短縮する、つまり生涯賃金から1.5ヶ月分の賞与を奪ってしまうというむちゃくちゃなものです。
 同じく2014年に行われた病気休職制度の変更は、病気で休職したときに給与が保障される期間が、それまでは最長35ヶ月(約3年)だったのを、13週間に大幅に短縮するものでした。病気にかかって長期の療養が必要になれば、あっという間に生活がたちゆかなくなってしまいます。
 これらの制度変更に際し、会社は組合に対する事前の説明や協議をまったく行おうとせず、一般の社員に対する発表と同時に一方的に組合に通告するのみでした。社員に対する説明会はその都度、開催されますが、説明会では制度変更のうちでも会社に都合のよい部分ばかり強調し、社員にとって不利益となる変更については一切触れませんでした。賃金減額の根拠となった格付規定の変更をおこなったときとまったく同じ姿勢です。
 会社は、病気休職制度の改悪とひきかえに、社員の健康増進のための施策として事業所内へのフィットネス施設の設置を発表していました。この発表から1年近くがたち、病気休職制度の変更は実施されてしまいましたが、フィットネス施設など影も形もありません。
 会社は、ペイ・フォー・パフォーマンス、ハイ・パフォーマンス・カルチャーといった、もっともらしい言葉で賃金減額を説明しようとしていますが、社員の待遇の切り下げばかりを次々と強行し、待遇改善については口先ばかりの会社が言っても、まったく説得力がありません。真面目に働いて会社に貢献してきた社員に対し、相対評価によるPBCが低いというだけで懲戒処分以上に賃金を下げ、生活に打撃を与えていい理由は何もありません。
 私自身、評価2を何年も続けていてもその間の昇給はほとんどなく、たった1度の評価4でリファレンス・サラリーを15%も下げられ、その後、評価2+をとっても給与は元の水準に遠く及びません。生活は苦しくなる一方です。

2.ロックアウト解雇と賃金減額
 証人尋問でも詳しくお話したように、賃金減額は退職勧奨、退職強要と抱き合わせで行われています。賃金減額が実施される前月の2013年6月、何人もの同僚が職場を去って行きました。その中の一人は「これ以上、この会社に関わりたくない」というセリフを残して、退職していきました。同じ6月には、少なからぬ社員に対してロックアウト解雇も行われました。賃金減額は、ロックアウト解雇に直結するリストラのツールなのです。
 それでも私が会社をやめずに、会社を訴えることにした一番の理由は、会社のこのような不法、不当な仕打ちをそのまま認めることはできないという気持ちからです。会社が間違った施策を撤回することで、ふたたび誇りをもって働ける職場となることを強く願っているからです。
 裁判所におかれましては、本件減給措置の真相を正しく理解し、判断していただくようお願いします。

以上

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