JMITU日本アイビーエム支部――活動紹介

活動紹介

当労働組合は1959年に結成されました。当時は会社にまともな就業規則や賃金規程が無く、昇給はお手盛り、通勤費もいい加減でした。多くの社員が労働組合を切望する中で設立され、90%以上の組織率を誇りました。その組織力を背景に設立後2年にわたって労使協議が続けられました。その過程で就業規則や賃金規程の整備が行われ、なんと66%も賃金水準が上昇、ボーナスも一律4ヶ月、充実した福利厚生など、画期的な成果を上げました。

その後も当組合は会社の不当な行いを許さず、敢然とたたかってきました。以下にそれら数々の争議をご紹介します。

1.書記長福岡配転事件

1962年 東京都労委申立
1963年 東京に戻す
会社は現職書記長を東京から福岡にいきなり配転し、組合を弱体化しようとしました。このたたかいに勝利した結果、以後、組合幹部の異動・配転については事前協議・合意協定が結ばれました。

2.19円賃金カット・不当配転事件

1968年 神奈川地労委申立
1972年 地労委勝利命令
1974年 中労委で勝利和解
会社は仕事中に3分間立ち話をしたことを理由に19円の賃金カットを行い、職場を配転。これを不服として労働委員会に申し立て、勝利しました。

3.神奈川賃金差別事件

1969年 神奈川地労委申立
1976年 賃金是正の勝利命令

4.東京賃金・昇格差別事件

1973年 東京都労委申立
1980年 勝利命令

5.愛知賃金・昇格差別事件

1973年 愛知地労委申立
1982年 上記3~5について、中労委で賃金・昇進差別勝利和解
これら賃金差別事件の勝利により、会社は組合員に昇進差別ができなくなりました。

6.賃金制度明示事件

1991年 東京都労委申立
1994年 都労委勝利命令(制度明示)
1999年 中労委逆転棄訴命令(明示必要ない)
「給与レンジ」、「昇給率表」、「人事考課表」などの賃金制度を明示しない会社に対して申立。都労委は「制度明示」の勝利命令だったが、中労委で逆転されたものの「明示できない理由を誠実に説明しなければならない」とされました。

7.スタッフ専門職(バンド8)組合員資格事件

1996年 東京都労委申立
2001年 都労委棄却命令
2003年 東京地裁都労委命令取消しの全面勝利判決
2005年 東京高裁敗訴判決(組合員範囲、解約有効について組合の主張を認めた)
2007年 最高裁上告棄却
1982年の昇進差別事件勝利の範囲外である専任以上(現在バンド8)についての組合員資格を争ったたたかいです。最終的に確定した東京高裁判決は、組合員の範囲は組合が決めることであり、協定の部分解約は有効だとしました。
下記16番に記載の団交拒否事件についても、中労委はバンド8以上の組合員にその資格があることを明示してポストノーティスを命じ、同命令は確定しています。

8.幕張転勤強要事件

1999年 名古屋地裁仮処分申請
2000年 地裁仲介(帰任期限、帰省費用会社負担)
祖母の介護責任を負っていた人を名古屋から幕張に強制配転した事件。裁判所の仲介で、①帰任時期を明らかにして、②毎週の帰省費用を会社負担とし特別勤務措置(月曜の遅出出勤)をとらせ、会社に「介護責任」を認めさせました。

9.転籍強要・見せしめ出向事件

1999年 東京地裁提訴
2001年 勝利和解
総務部門を子会社化し、55歳以上の人は転籍させ賃金を55%にすると会社が一方的に発表。一方で、賃金が大幅に下がる転籍に応じない人に対して、会社はいやがらせで孫請け会社へ出向させ、郵便物の集配、隔離された地下室での伝票入力作業など今までの能力を一切無視した業務をさせました。これはマスコミにも大きく取り上げられ、結局、55歳以上でも転籍でなく出向で元の職場に戻れるという完全勝利となりました。

10.HDD会社分割事件

2002年 神奈川地労委申立、横浜地裁地位保全仮処分申請
2003年 横浜地裁地位確認提訴
2007年 横浜地裁敗訴
2008年 東京高裁敗訴
2010年 最高裁上告棄却
会社分割法によってHDD部門が日立に売られ、その部門にいた組合員が強制的に日立の従業員とされたことにより、「人身売買」だと会社への地位確認を求めた事件。会社分割法という法律自体は崩せませんでしたが、日立に移った労働者の権利や、労働条件は維持させることができました。

11.DTI解雇事件

2004年 大津地裁提訴
2007年 和解
子会社が解散し、継続会社への転籍を認められないことによる解雇事件。相当額の解決金で和解しました。

12.YSC会社解散事件

2007年 滋賀地労委申立
2007年 和解
団体交渉中の会社解散強行に対して団交拒否で申立。再就職について最後まで責任を持つことと解決金で和解しました。

13.有期雇用(コンサルタント)雇い止め事件

2011年 東京地裁地位保全仮処分申立
2012年 和解
プロフェッショナル・コントラクトのコンサルタントが低評価を理由に雇い止めにあった事件。納得できる水準で金銭和解しました。

14.人権侵害・退職強要事件

2009年 東京地裁提訴
2011年 東京地裁敗訴
2012年 東京高裁敗訴
2014年 最高裁敗訴
2008年末に1300人を目標とする大規模な退職強要が行われ、その一環で会社による様々な人権侵害が行われました。その被害者4人が損害賠償を求めて提訴。東京高裁判決は会社の一部の不当性を認めました。しかし「損害賠償に値するほどではない」とされました。しかし、この事件の本質である退職強要・人権侵害は17番のロックアウト解雇事件につながっており、争議は続いています。

15.残業代請求事件

2012年4月 東京地裁提訴
2013年1月 和解成立
会社に過労死水準の残業をさせられていたにもかかわらず、勤務記録システム(e-Attendance)へ実態通りに申告することが許されなかった2人の社員が残業代を請求した事件。納得できる水準で金銭和解をしました。

16.ロックアウト解雇団体交渉拒否事件

2012年 東京都労委申立
2013年 都労委救済命令
2015年 中労委救済命令(確定)
予定されていた団体交渉の直前に行われた解雇予告通知に関して、会社がその団交で協議を拒んだ事件。中労委で全部救済命令となり、会社は社内に謝罪文を掲示しました。

17.ロックアウト解雇事件

終業時間の30分前にいきなり解雇通知を渡して会社から追い出す解雇。2012年に始まり、その後5次にわたり原告11人が裁判提訴。最終的に2018年3月をもって全員の解雇撤回、うち3人が職場復帰し終結しました。(カッコ内は原告人数)
第1次:2012年10月15日提訴(3人) 2017年12月26日 東京高裁で勝利的和解
第2次:2013年06月20日提訴(2人) 2017年12月26日 東京高裁で勝利的和解
第3次:2013年09月26日提訴(4人) 2017年04月25日 東京地裁で勝利的和解
第4次:2014年07月03日提訴(1人) 2017年03月08日 東京地裁で勝訴判決確定
第5次:2015年06月03日提訴(1人) 2018年03月26日 東京高裁で勝利的和解

18.賃金減額事件

個人の業績が期待に届かなかったとして年収の15%~3%が恣意的に賃下げされる事件。労働契約法違反として東京地裁でたたかっています。(カッコ内は原告人数)
第1次:2013年09月26日提訴(09人) 2015年11月25日 会社認諾し勝利確定
第2次:2016年02月18日提訴(21人) 2017年06月28日 勝利的和解

19.不当労働行為救済申立事件(ロックアウト解雇、賃金減額、バンド8組合員資格)

ロックアウト解雇事件と賃金事件については、それ自体の不当性を争う裁判と並行して労働組合員に対する不当労働行為性も都労委で争いました。2017年にはバンド8(部下を持たない課長職相当の社員)の組合加入を認めないのは不当だとして追加申し立てを行いました。
2013年9月  東京都労委申立て(ロックアウト解雇、賃金減額)
2014年4月  都労委が1度目の三者要望書交付
2014年6月  都労委が2度目の三者要望書交付
2015年3月  都労委がこれ以上の紛争を止めるよう実効措置勧告書交付
2017年4月  バンド8組合員資格否認事件について追加申立
2018年9月25日 勝利的和解(ロックアウト解雇、賃金減額、バンド8組合員資格)

20.パワハラ賃下げ事件(第3次賃金減額事件)

会社が一向に賃金減額を止めないため、組合に新規加入した人を中心に原告団を結成し第3次賃金減額裁判を提訴するとともに、事件名称を「パワハラ賃下げ事件」と命名しました。
2018年10月12日東京地裁提訴(18人) 係争中

21.パワハラ降格事件

会社の組織的パワーハラスメントである「パワハラ3点セット」、すなわち「パワハラ低評価」、「パワハラPIP」、「パワハラ賃下げ」の延長線である「パワハラ降格」による降格が違法・不当であるという裁判です。
2019年11月06日東京地裁提訴(2人) 係争中

20番以降は現在もたたかいが続いています。皆様のご支援を是非ともお願い申し上げます。詳しくは「法廷スケジュール」のページをご覧下さい。

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