予断と偏見に満ちた異常な判決

―日本IBM人権侵害裁判判決批判 ―

◆裁判所が死んだ日◆

昨年12月28日、東京地方裁判所民事第19部(渡辺和義裁判官)において日本IBMの労働者4名(全日本金属情報機器労働組合・JMIU組合員)が申し立てた損害賠償請求事件の判決がありました。判決の内容は「原告の請求をいずれも棄却する」という原告の全面敗訴。原告はただちに東京高裁に控訴しました。
この事件は日本IBMが原告らに対して行った退職勧奨が労働者の基本的人権を侵害する違法なものであるとして損害賠償を請求したものです。判決は、退職勧奨の対象となった社員が拒否の意思表明した場合に会社が引き続き説得活動をしたとしてもそれが社会通念上逸脱したといえない限り当然許容できるものでありただちに違法とはいえないとしました。労働者への退職勧奨を許容・是認するきわめて不当な判決です。これまでの裁判例では、対象者の自由な意思決定を妨げての過度な勧奨は違法な権利侵害にあたるとしています。判決はこうした裁判例をも無視するものであり、「裁判所が死んだ」と言わなければなりません。

◆3000人を対象にした大リストラ◆

この裁判の背景には日本IBMが08年年末に行った大規模なリストラがありました。IBMが当初、会社そのものが主導するリストラ計画の存在すら否定しましたが、内部告発によって秘密裏のRAプログラムと呼ぶリストラ計画が存在することが発覚しました。
RAプログラムでは人員削減の目標を1万6千人いる従業員のうち1300人を退職させるとし、そのため「予定数の達成がリーダー(管理職)の結果責任」と強調されていました。その結果、管理職による執拗な退職強要が3000人を対象に行われたのです。
原告の場合、繰り返し退職の意思がないことを表明しているにもかかわらず、執拗に、面談やメールによって「業績が悪い」「スキルがない」「会社に貢献していない」「いつまで働く気があるのか」「(この会社では)60歳まで働ける人はありえない」などと迫ってきました。なかには、ペットボトルを振り回したり、机をがんがんたたいたり、激しく足を踏み鳴らすなど威圧しながら退職を迫る上司もいました。原告らは退職強要を受けるなかで勇気をもって労働組合(JMIU日本IBM支部)に加入し退職強要は止まりました。しかし、労働組合加入に踏みきれなかった労働者は泣く泣く職場を去らざるをえなかったのです。また、会社がうつなど精神疾患を患っている人をねらい撃ちにして退職強要の対象にしたため、病状をさらに悪化させてしまった人が続出しました。この時期にはたくさんの仲間が組合に加入し、その多くが退職強要のあまりにもひどいやり方に精神的にも疲れ果て本当は裁判に訴えたいという気持ちがあるにもかかわらずあきらめざるをえませんでした。4人の原告は、自分たちは退職を免れたが、受けた精神的苦痛は甚大であり会社は絶対に許せないという気持ちととともに、二度とこのような悲惨なリストラを繰り返してはならないという思いで裁判提訴に立ち上がったのです。

◆異常な違法性の判断基準◆

裁判では、このような退職強要が違法なものであるかどうかが争われました。
判決はまず、リストラを断行した2007年の経常利益が1654億円だった事実はまったく無視したうえ、「従業員がみずからの業績を向上させる努力を怠らない(いいかえると業績の悪い社員は雇わない)」というIBMの企業文化をいっそう促進するために「RAプログラム」は必要だったと認め、退職金割増などの退職支援が他社に比べて退職後の将来を充実していると絶賛しました。また、目標の3倍相当を対象に退職強要を迫ったことや成果主義での低評価者を対象にしたことを、紛争リスク回避のための合理的措置として肯定的に評価しました。そのうえで、退職勧奨の違法性の基準について以下のように示しました。

  • ①退職勧奨は労働者の自発的な退職意思の形成を働きかけるための説得活動であり、応じるか否かは労働者の自 由な意思に委ねられているので、使用者が、退職勧奨に応じるよう説得することは何ら違法なものでない。
  • ②退職するつもりはないと意思表示している労働者に対し「なぜか」などと質問することを制約すべき合理的根拠はない。労働者が「退職しない」と言ったとしても、それをもってただちに退職勧奨を中断する必要はなく、引き続き「再検討を求めたり翻意を促すことは、社会通念上相当と認められる範囲を逸脱した様態でなされたものでない限り、当然に許容される」
  • ③退職勧奨の過程で「戦力外と告知された当該社員が衝撃を受けたり、不快感や苛立ち等を感じたりして精神的に平静でいられないことがあったとしても、それをもって直ちに違法となるものではない」

この異常な判断基準をもって退職強要に違法性があるかどうかを判断するというのですから、これでは、拳銃を突きつけるほどのことがしないかぎりどんなことをやっても違法性はないという結論となるでしょう。実際、判決は4人の原告らに行われた退職強要について、「退職勧奨行為が社会通念上相当な範囲を逸脱する違法性はない」と結論づけたのです。

◆判決の問題点◆

判決の問題点は以下のとおりです。
第一に、判決が著しく予断と偏見にもとづく事実認定と判断を行なっていることです。判決は、被告の主張をそのまま引用する形で「戦力外」と呼び、使用者から「業績・評価が悪い」「仕事ができない」とみなされ「戦力外」とレッテルを貼られた労働者は、使用者から繰り返しの退職勧奨を受けても当然という考え方についても、労働者を見下すような予断と偏見に満ちています。また、事実認定についても、被告会社の主張はまったくの検討なしに受け入れているのに対し、原告(労働者)側の主張は、これもほとんど説明なしに事実上否認されています。
第二に、成果主義において低評価をつけられた労働者に退職を迫ることを認め、労働者の雇用をまもる経営者の義務(責任)を免罪していることです。労働契約法16条にあるとおり使用者の解雇権の濫用は厳しく規制されています。それは労働者の雇用安定は社会的に要請されているものであり、使用者には労働者の雇用をまもる責任があるからです。判決はこうした労働法制の原則から著しく逸脱しています。
第三に、判決は、資本と労働の不均衡な関係(資本家・使用者は労働者に対して圧倒的に強い立場にある)という資本主義社会の現実をまったく無視していることです。すなわち、渡辺裁判官の頭のなかでは、職場での使用者と労働者は対等な関係にあるのでしょう。だから、退職がいやなら応じなければいいのだから、その過程で、使用者側が少々乱暴してもかまわないと思っているのです(法廷でこの裁判官は退職勧奨を「タフな交渉」と表現しました)。しかし、現実は、職場のなかの使用者と労働者の関係は対等ではありません。そればかりか、使用者は労働者に対して絶対的な権力をもち、労働者はどんな業務命令にも応じなければなりません。また、労働者にとって失職は生活の糧を絶たれることです。そうしたもとで、労働者が使用者から「おまえは業績が悪い」「会社に貢献していない」「早く辞めたほうがいい」などと恫喝まがいの言葉を浴びせられることがどんなに精神的な苦痛となるかが理解できないのです。しかし、現代の労働法は、この資本と労働の不均衡を前提として、だからこそ、労働者を特別に保護しなければならないという立場にたっています。渡辺裁判官はこの初歩的な原則をすっかり忘れているようです。
第四に、判決は、これまでの最高裁判例を含む裁判例や行政判断からも著しくかけ離れていることです。最高裁判例などでは、①執拗で繰り返し行われる半強制的な退職の勧め、女性差別など法令に反する退職勧奨、ことさらに侮蔑的な表現を用いる、懲戒処分をちらつかせるなど退職勧奨の域を超える退職強要、退職の勧めを拒否した者への不利益取り扱いは違法としています(下関商業高校事件 最一小判昭55.7.10など)。また、行政判断では、2000年2月の神奈川労働基準局指導が、退職勧奨が違法となる判断として、①出頭を命ずる職務命令を繰り返す、②あらたな条件提示などもなく勧奨を続ける、③勧奨の回数や期間が通常必要な限度を超える、④精神的苦痛を与えるなど自由な意思決定を妨げる言動、⑤立会人の認否、勧奨者の数、優遇措置の有無などに問題がある場合をあげられています。今回の判決がこれら過去の裁判・行政の示した内容からも著しくかけ離れたものであることは言うまでもありません。
いま、日本では、まともな労働組合のない職場を中心に、同じような退職強要がひろがっています。とくに最近、顕著に増えているのが成果主義による低評価を口実に退職強要・解雇です。こうした問題の背景には、財界・アメリカが強く求めている「解雇の自由化」があります。すなわち、労働者の解雇に規制はいらない、自由に労働者を解雇できるようにしろという要求です。今回の判決はそうした流れのなかにあることを見ておく必要があります。それだけに、東京高裁ではなんとしてもこの判決を是正させることが求められています。

(JMIU書記長 三木陵一)

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。