3.11東日本大震災 各事業所からの意見

JMIU日本アイビーエム支部を代表して、この震災の痛ましい犠牲になった皆様に、特に最愛の方を失った方々につつしんで哀悼の意を表するとともに、被害を受けられたすべてのみなさんに心からのお見舞いを申し上げます。
日本IBM支部委員長 大岡義久

3月11日の東日本大地震は、社員にとっても
勤務中に突然発生した災害であり、不安と恐怖に襲われました。10時間近くかけて自宅をめざした人、足を奪われてしかたなく事業所に泊まった人、大きな影響がでました。しかし少ない情報の中で社員の自己責任に任せたと言うことに疑問の声が聞かれます。ここに各事業所でどういう状態であったのか、社員の声を掲載します。今後いつ起こるかわからない災害のために、是非生かしていただきたいと考えます。特に防災体制が機能していないと言う声が各事業所とも多いので、早急に改善が望まれます。

 《幕張事業所》

●地震後、1階屋外への退避を指示。退避経路上には、建物の化粧板が落下しているところもあり、このような経路に誘導していることに危険を感じました。
●帰宅指示が出たのは17時頃。それまで、屋外に立って待たされた。余震が続いていて、落下物の危険もあり、そのような指示でよかったのか、疑問が残ります。
●3時ごろの屋外退避後、すぐに帰宅指示を出せば、明るいうちに帰宅が可能であった人も多かったと思われます。

《本社事業所》

●本社事業所では、非常食と水が配布されたのは、夜9時過ぎでした。徒歩帰宅組には配布されませんでした。
●毛布などの支給がなく、会社に泊まった人も風邪をひくので寝なかったとのことです。丸ビルでは、丸ビル管理社員にはもちろんテナントの全従業員に行き渡るよう、水、非常食、毛布を夕方までには配布されたと聞いています。
●本社では、避難誘導にしろ勤務場所で待機にしろ、直後に全く指示が出なかったのは大きな問題です。仮に東京直下型大地震が来たら、これでは初動が遅れて多数の犠牲が出かねません。
●本社低層階前の広場には、「外に出なきゃ」という声がところどころ聞こえたので、自主的に外に出た人が多かったです。
●徒歩帰宅時には、徒歩帰宅時に地図がいただけるとありがたい。
●地震直後にテープで震度4レベルの地震と放送があったが、実際には5強であり、なぜ震度4と判定されたのか分からなかった。
●オフイス内では、ムービングキャビネが地震の最中は無秩序に動き、机の上のファイル等が落下しました。
●階段や15階会議室のコーナーにひび割れがあることを、壁の粉が床に落ちていることで分かりました。放送ではビルは倒れないと言っていたが、震度の誤判断を考慮すると信用できないと思いました。
●防災体制が機能していない。マネージメントは、特に点呼も行わず、自らは勝手に早退していました。
●電車等の状況が分からず、かなりの社員が各自の判断で徒歩で帰宅していました。 
●当日の帰宅難民者には、水と非常食が配給。毛布などはなし。
●18時頃、エレベータが動かず徒歩帰宅者が階段をおりている中、食堂の従業員が複数のオードブルの大皿を持って上がっていうのを多くの社員が見ている。時間からしてお客様向けとは思えませんが・・・
●避難指示の放送をタイムリーに欲しい。意味のある非常放送がありませんでした。指揮系統が機能していない。 
●事業所長が指示を出さず、現場社員の個人責任にするのはおかしい。
●日本から退避したアサイニーの必要性は本当にあるのか。
●ファイナンス関係がパイロットだといいながら、機能を大阪に移動させ、外人も移動したが、この時期上層部がいち早く逃げだしたと社員は思っています。
●会社にコイン対応の公衆電話がないので、災害時に外部と連絡できなかった、公衆電話を復活させてほしい。

【豊洲事業所】

●地震直後に外へ階段で避難。外は液状化で水が噴出中でした。
●避難放送で「火災発生」との誤報があり、多少混乱しました。1時間位、外で待機させられました。
●当日は、エレベーターとエアコンなどが稼動しませんでした。
●11階東側では、ベンディングマシンと取り囲んでいたパーティションが倒れ、現在も撤去されたままで、掲示物もなくなった状態です。
●オフイス内では、パーティション・机の揺れでカーペットのめくれ、PCの落下、FAX機やPRT機などが向きを変えたり60cm位移動。
●防災体制が機能していませんでした。
● 訓練とは違う形の避難場所であり、また点呼などが行われたようには見えませんでした。
● 当初の避難場所がビル近くであり、地震の際の避難場所としては不適切でした。(途中で移動)
●雑居ビルであるので、IBMとしてどこに避難するのか事前に確認しておく必要があります。
●入居者が全員避難したと思うが、入居者の多さに驚くとともに、避難経路の階段が渋滞していて速やかな避難ができず不安を覚えました。
●当日の帰宅難民者には、水と非常食が配給されましたが、毛布などはありませんでした。

【大和事業所】

●会社ホームページやツイッターにて14日13時に出社するようにという情報だったので出社したが、24時間の「自主停電」のため施設内には入館できないと正門で説明がありました。そして、13時から17時まで電車が止まっており、帰宅難民となりました。

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