ラインによる恣意的評価は「当然ある」――そんな成果主義に基づく評価に振り回されてはたまらない

社会経済生産性本部が主催した企業経営者向けのセミナーで、当社の最高顧問である北城恪太郎氏は、『IBMでは上司が部下の評価は気分で決めている』と述べました。「気分で決めてはいけません」ではなく、「気分で決めている」と述べ、それが、雑誌の記事に掲載されているのです。
「プレジデント」(2005年11月14日号)に掲載された『成果主義が現場で機能しないのはなぜか』ということを書いた記事の一部にこの北城氏の発言が紹介されていました。また、筆者は、『成果主義を正常に機能させる要件として、「公正・公平」「透明性」「納得性」の三つがよく指摘される。』『この要件を担保するのは至難の業である。』とも述べていました。果たして、上司が部下の評価を気分で決めることで、これらの要件は満たされるのでしょうか。

以下に、北城氏の発言部分の記事を抜粋します。

「成果とは何か。決して単なる売り上げや利益の目標に対して上回ったかどうかだけが成果なのではない。それ以外にチームワークがきちんとできる人物なのか、自分の部門が不利になっても時には他の部門を支援し、会社全体の利益を考えて意思決定し、行動したのかというのも成果だ。評価の客観性、公平性、科学性というが、人が人を評価するときに大体数値項目を並べて、丸がいくつあり、100%達成したから評価がAと機械的にやることではない。ではIBMではどうしているか。上司が気分で決めている。年初に一応目標を設定するが、それがどう達成されたかは一番上司が知っているものだ。この人間は成果を上げ、能力を発揮したか、つまりチームワークがよかったか、人材の育成に力を入れたかなどいろんなことを全人格的かつ多面的に評価している」(社会経済生産性本部「東京トップ・マネジメント・セミナー」)

この発言があったのは数年前ですが、特にこの雑誌に訂正記事が掲載されることもなく、今日に至っています。その上、11月10日の団体交渉の席上で、会社側は「目標管理型人事評価においては、ラインによる恣意はどうしてもはいるが、High Performance Cultureの推進にはこの評価方法の方がメリットが大きい」と、半ば開き直った発言をしています。

さて、日本アイ・ビー・エムのPBC評価は「絶対評価」ではなく「相対評価」です。1が10~20%、2+と2で65~85%、3と4で5~15%、と人数配分のガイドラインが作成されています。富士通の元人事部長として成果主義の崩壊を目の当たりにした城繁幸氏は、「人事部が管理職に評価分布を回してつけさせている(註:すなわち人事部がラインに評価させているように見せて実は評価権を手放していない)ようでは、社員が目標を達成したかどうかなんてどうでもよくなってしまうから、管理職は部下の成果をきちんと計ることができない」「成果主義を(末端の社員まで)入れると、全社員のモチベーションの総量は確実に下がる。それに、仕事はチームでやるものだから、もし彼らのやる気がなくなったら「優秀な人」にも負荷がかかってくる。でも、そういう「優秀な人」は転職しようと思えばできる(笑)。結局、会社は有能な社員まで失うことになる」と、間違った成果主義がどのような問題を発生させるかをズバリ見抜いています。日本アイ・ビー・エム(同様の制度を適用しているグループ会社を含む)がそれに当てはまるかどうかはもはや言うまでもありません。
しかも、与えられた評価分布に従って上司の気分で決められた評価によって、夏冬の一時金や昇給の多寡が決まり、人によっては、低評価であるからと退職に追い込まれては、社員としてはたまったものではありません。会社は能力主義を強化すると言っていますが、会社が推進している問題の多い成果主義では能力主義の強化には役立たず、むしろ能力ある人間のやる気をそぎ、やがて破綻するという結果に終わることは目に見えています。

城氏はこうも言っています。「「優秀な人」と「イマイチな人」を比べたときに、貢献度の差は1.2倍くらいしかないのに、給与は5倍くらい違うというケースが非常に多い。そんなに差はつけるべきではないと、私は思いますね。それで給与を多く受け取った人が、4倍も5倍も仕事の成果を出せるようになるかというと、そうはならないですから。」
経営陣と人事は、彼の言葉を改めてしっかりと受け止め、Performance Managementという名目で社員を退職に追い込み続けるかわりに、問題の多い成果主義を早急かつ大胆に見直しすべきです。

(註:日本アイ・ビー・エムの場合は、ここ数年、昇給額で見て「優秀な人」には給与レンジおよび予算の範囲内でいくらでも、「普通の人」以下にはゼロ昇給が基本)

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